今日もイギリスとイタリアのジャケットを2枚。
前回の括りはブラック×2ボタンでしたが、
今回はコーデュロイ×ビスポーク。
既製服でも、ラペルをカットしたわけでもなく、
このデザインでオーダーされた一着。
かつてはサヴィルロウにも店舗を構えていたテーラー、
”AIREY & WHEELER”で、1970年にオーダーされています。
このオーダーした方、一体何者なんでしょうか。
ロンドンを訪れた記念に作る人とか、一生に一着のスーツを求める人は
こんなものはオーダーしない気がします。
また、テーラーの格に気後れしてしまう、こうだと言われたらそれに従う、
そんな人でもない。相手が一流であろうと、言いたいことが言えなければ
サイズが合い、着心地が抜群でも、デザインは既成の枠を超えない。
そして、服に対する興味を超えた情熱、オリジナリティのあるアイデア、
そういったものがないと、まずデザイン自体が立ち上がりません。
もちろん趣味として、一着の服にかけられる経済的な余裕も必要。
最後はそれを受け入れ、形にするテーラーの許容、機転、技術。
当たり前の必須条件ですが、テーラー側としては当たり前じゃない。
突飛なオーダーを受けて仕立てたはいいものの、
お客様の手に渡ったら、それが店を代弁する一着になる。
恥ずかしいものは作れないし、何てモノ作ってんだと言われても、
依然誇りを持って、胸を張れるようなものでないといけない。
看板にキズがつきかねない変な注文は受けないはず。
何か一つ欠けても、この一着は出来上がらなかった。
どちらかの気分がちょっと違っただけでもポシャっていた。
出たとこ勝負の賭けがたまたま上手くいった。
私見ですが、上の条件を全てクリアしたのは偶然な気がします。
イタリア、チェゼーナという県のCaliseseという町にあった
サルトリア、”Roberto Francisconi”で仕立てられた一着。
サルトとかサルトリアとか最近目や耳にする方もいると思いますが、
テーラー、仕立て屋というニュアンスです。
コーデュロイのテーラードなんて他にあるだろう、と言われそうですが、
イタリアのジャケット、スーツは身体のラインに沿った、線を強調する
シルエットのものが多いのが特徴です。
例えばアメリカやイギリスと比べると、歴然とした差があります。
こちらも極端ではないものの、身頃、袖周り共に程良く細身。
そして、細身なのに丸みがある。直線で形作られているのに、
着た時にその線が柔らかい丸みを帯びます。
ライニングや衿裏のフェルトも色を統一し、柔らかい雰囲気を
演出するような工夫もサルトリアらしい丁寧な仕事。
もちろんライニングの袖付もハンドステッチ仕上げです。
ファーマーやシェパードなど、カントリーライクな服に多用されるような
太畝のコーデュロイを使いながら、その土臭いイメージとは裏腹な、
大人服らしいルックスがこの一着の醍醐味です。
こっからは独り言なのでヒマな人だけ読んでほしいんですが、
ビスポークって保守的で、頑なで、閉鎖的なイメージありますよね。
誰でも彼でも手にできるものではなく、限られた人だけの嗜好品。
目新しさではなく、「当たり前」の質をどれだけ突き詰められるか、
不特定多数ではなく、一個人の嗜好に対する満足度をどれだけ
高められるかがその良し悪しを左右するような。
なので、服単体じゃ違いが良く分からないものがほとんど。
しかもサイズとか着心地とかはオーダーした人の好みなので、
後に手にした人が「着心地最高!」とか言うのも、それはただの
偶然に近く、必ずしもビスポークだからではないと思います。
なので(?)、いくらビスポークでも、いったん主人の手を離れ、
市場に流通してしまったら、2番目以降に手にする人達にとっては
ルックスや生地感など、キャッチーな要素がより重要なのでは、と。
そんな偏った考えに沿って選んだのが上の2着なわけです。
サイズ・着心地が合うのはほとんど偶然でしかないわけだから、
その点に関してビスポーク至上主義を貫くのは無理があります。
服自体の質で選んで自分サイズにリフォームするなら別ですが、
既製服の方がよっぽど万人の体に合うように作られていると思う。
だったらその予定調和をぶち壊してくれるようなデザインの方が
セカンドオーナー、サードオーナー的にはずっと面白い。
おっさんくさい服は、いくらビスポークでもおっさんくさいんです。
こんなこと書いたらビスポークに詳しい方の反感買いそうですが、
微細な違いに感動するほどスーツに対する造形は深くないので・・。
素人目から見ても、一着の服として良い、面白いと思えるものを。
まあその前にスーツじゃないですけどね笑。
本日は撮影で外出するため、発送は明日の木曜日になります。
よろしくお願いいたします。